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介護福祉士だからこそ見ることが許される奇跡

介護福祉士だからこそ
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認知症対応型デイサービスで久しぶりに出会った2人

私が介護福祉士になりたての頃、AさんとZさんという2人のご利用者さまがいらっしゃいました。
Zさんが先に利用していて、その少し後にAさんが新規でご利用になりました。
お2人とも、やはり認知症で記憶はやや曖昧。そんな2人と僕たちが経験した、小さな奇跡を
ご紹介したいと思います。

霞みゆく追憶の彼方、おぼろげに揺れた昔日の灯火は消えない

AさんとZさん。奇しくも頭文字が遠く離れたアルファベットの両端に位置する二人。
お互いの思いが交差することはもう、叶わないのか―

 その日が初めての利用日だったAさん。事前のアセスメントでは、難聴で耳はほぼ聴こえない。構音障害ではないが発する言葉を聞きとることは困難。夫は随分前に他界し、一人生まれた子は重度の障害があり施設に入所中。養子を迎えたが遠く離れた県外在住、今はコロナの影響もあり簡単には会うこともできない。恐らくお盆にも帰省されていない。二年ほど前の転倒による怪我で杖歩行となり認知症状も進行中。現在独居。一体、どれほどの苦労を、その身に経験してこられたのだろうか。

私たちは、大切な利用者様お一人お一人に対して誠実な対応を大前提として、その上で全身全霊の愛と命を懸けて支えていくことを日々のケアの目標としています。その環境は皆様それぞれで一様ではありませんが、このAさんにはいい意味で、それこそ全力の愛と命の懸け甲斐があると僕は密かに思っていました。

Aさんは、明るかった。その苦しいはずの過去の影など微塵も感じさせない程に、よく笑いました。やっぱり耳は遠かったし、言葉も聞き取りにくかったけど「心で対話することができるタイプ」の方だと感じました。さらに筆談も有効で、それにより意思の疎通の精度はさらに上がりました。私たち職員の名前も紹介すると、きちんと口にして挨拶してくれて、それがすごく嬉しかった。

次に、その日一緒に利用していた他の方も紹介しようと思い、斜向かいの席の方に目線を移した時、Aさんの視線も同じように動き、
そして不意に「Zさんか!?」
と、確かにその方のお名前を呼ばれました。あまりに想定外の出来事に瞬間、言葉を失いました。

 Zさんは長年教師をされていて、Aさんもそうでした。そして年齢も近いその二人は、同僚で一緒に仕事をされていたのです。何という巡り合わせか、この場所で、このような形での旧友との邂逅。
Aさんは、我を忘れたかのように、Zさんの名を連呼され、机に頭を伏して、続けて涙ながらに、下の義歯しか無いその口から絞り出され、私たちにもはっきりと聴こえたのは、
「うれしいよぅ」という言葉。
魂の琴線に、確かに触れたその思い、一体どれほど久しい感動だったのでしょうか、私たちには見当もつきません。

 だけど、認知症状のせいで過去の記憶に靄がかかり始めているZさんは、いとも容易く
「知らん」と言い放ちます。
冒頭の一文を、その場にいた誰もが感じ、頼むから思い出してくれと皆が願いました。でも奇跡は、起きなかったのです。
しばらくの間は―

ふと次の刹那、何気なくホワイトボードを手繰り寄せたZさんは、何かを思い出したかのように書き始めました。そこには、なんと、
Aさんのフルネームが書かれていたのです―

介護福祉士だからこそ出会えた奇跡に感謝

私たちには、こんなに劇的でリアルなドラマを目の前で見ることを許された権利と、そこに導く役目という一つの義務があるように思います。そんな場面に出会う度、いつも、私の心は震えて止みません。
介護という、本当に尊い仕事を選んでよかったと、心から思う瞬間でした。

介護福祉士だからこそ

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